告げれなかったさようなら
微かに覚えている記憶が、ふとしたきっかけで鮮明に思い出される事がある。テレビでやっていた映画を横目で見ていて、それが起こった。この記憶がまた"微かに覚えている"記憶にならないうちに、書き残そうと思う。
当時、僕は大学生だった。大学は人生の夏休みと言われるのも納得するような時間を、人生で1番無駄であり無駄じゃない、かけがえのない時間を、過ごしていた。酒が飲める歳になったということもあり、仲間と集まってはゲームか酒を飲むかの生活だったが、今はそれを恋しくも思う。
そんな生活に少し飽きがきたある日、ふと思いつきで通話アプリの掲示板に書き込んだ。
「映画を見るだけの通話相手募集」
単なる暇つぶしに過ぎなかった。友達じゃない誰かに新鮮味を求めていたんだと思う。
午前中に書き込んだが、それは夕方になっても誰からも連絡は来なかった。それもそうだろう、通話相手を探す掲示板で、映画を見る人を募集しているのだから。そんな事を思っていたら、20時過ぎに1人から連絡が来た。
「もう見る方は決まりましたか?いないようであれば、是非」
来ないもんだと思っていたから、驚いた。僕は2つ返事で
「是非見ましょう、見たい映画はありますか?」と返した。
「ショーシャンクの空に、なんてどうでしょうか?」
王道だな、と思ったがそれも2つ返事で了承した。それからは日にちや2本目を見るなら何の作品か、なんてやり取りをしていたと思う。ずいぶん堅苦しい言葉遣いだなと感じたのを覚えている。
数日後、映画を見る日がやってきた。バイト帰りにレンタルショップでDVDを借りて帰宅した旨を伝えると、向こうから通話がかかってきた。
「はじめまして、どうやって同時に再生しましょうか?」
声の主は女性だった。堅苦しい言葉遣いから年上の男性を勝手にイメージしていたから、驚いた。透き通るような綺麗な声だった。女性だったんですね、と言おうとしたがそれは言わなかった。
「はじめまして。せーの、で再生してみますか?」
今思えば、ものの数分前に初めて言葉を交わした2人が「せーの」の掛け声でDVDを再生しているのだから、おかしな話だと思う。
その日以降、映画を見終わっては、あそこが良かった、あれは伏線だった、と映画の話をするだけのリモート上映会が仲間とのゲーム、酒飲みの生活に加わった。週に1、2回の頻度だったと思う。
それから半年ほど経ち敬語も薄れた頃、あれは確か『きみがくれた未来』を見終わって感想を言い合っていた時だ。彼女が
「兄弟愛っていいよね、キミは兄弟はいるの?」と聞いてきた。
今まで映画の感想くらいしか話さなかったから、プライベートのことを聞いてくるのはそれが初めてだった。驚きながらも僕は応えた。
「姉が1人。そっちは?」
「私はひとりっこ。だからこういう映画を見てると兄弟や姉妹が羨ましく感じるの。」
「こんな映画みたいに仲良い兄弟なんてひと握りだよ。」
「私はそのひと握りになりたかったのよ。」
そんなやり取りをした。その日を境に、映画以外のことも話すようになった。
それまで知らなかった彼女のことを知ることができた。大学院生だということ、九州に住んでいること、美容師をやっている彼氏がいることなど。幸いにも映画以外に共通の趣味があり会話に困るようなことはなかった。
それから更に月日は流れ、初めて言葉を交わしてから1年が経過したある日、彼女が僕に言った。
「インターンで東京に行くことになったの。キミ確かそっちに住んでたよね。一緒にお茶でもどう?」
会ってみたい気持ちがないわけではなかった。
「卒論がぼちぼち忙しいから、この時期は厳しいかも。」
彼女と映画を見る時間や、たわいもない会話をする時間が好きだった。この時間を大切にしたかった。この関係を、この距離感を、ずっと保ちたかった。会ってしまったらそれが失われてしまいそうで、断った。ネット上の顔も知らない女性に対して好意とは全く違う、でも、それに近しい感情を抱いているのを僕自身が初めて気づいたのは、確かこの時だったと思う。
「そっか。残念。」
「それに、そんな密会みたいなことしてたら美容師の…」
「もうとっくに終わってる」
彼女は乾いた笑いを吐きながら、僕の言葉を遮るように言った。その乾いた笑いは2人が円満な別れじゃないことを物語っていた。
「そうなんだ。」
僕はそれしか言わなかった。それしか、言えなかった。
それからもこの奇妙な関係は続いた。僕は卒論が、向こうは資格勉強が忙しくなりやり取りはまばらになっていったけど、上映会はほそぼそと続いていた。
卒業が間近に迫ったある日、僕は携帯の機種変更をした。それが突然の別れだった。
その頃にはもう連絡の手段はSNSアプリだった。そのSNSアプリのデータが機種変更と共に消えてしまった。通話アプリのアカウントも、もう使わないだろうと消してしまっていた。連絡の手段は完全に絶たれてしまった。さようならを告げることもなく。バックアップを取らなかった僕が悪いのだけれど。
2年近く続いた上映会もそれを機になくなったが、不思議と生活に違和感や喪失感を覚えることはなかった。まるで彼女と通話越しに過ごした時間そのものが、最初から存在しなかったかのように。
あれから数年が経った。仕事も忙しくなり、昔のようにゆっくりと映画を見る時間もなくなった。きっと、彼女と映画を見た時間はいずれまた、"微かに覚えている記憶"になってしまうと思う。存在していたかも疑うくらい、微かな記憶に。
それでも、彼女と一緒に見た映画を目にする度に思い出すのだろう。
一緒に映画を見た時間を、たわいもない会話をした時間を。
彼女と過ごした時間は確かに存在したことを。